会報「ゆきしろ」63号
(平成23年4月発行)
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第63号
(発行者)
社会福祉法人 富山県視覚障害者協会
〒930-0077
富山市磯部町3丁目8番8号
電話 (076)425-6761
Fax (076)425-9087
Eメール:bcb05647@nifty.com
Homepage:http://www.toyama-ssk.com
(発行責任者)
会長 中西 美雄
上の題字は 鶴木大壽 氏によるものです。
【ゆきしろ(雪代)の意味】
雪国にあって、大地が春の雪原と接する部分で静かに融けはじめ、しずくとなり、やがてかすかな流れをつくり、それが集まって春のはじめの雪どけ水となって音をたてて大河に注ぐ様を、古くから俳句における春の季語として「雪代(ユキシロ)」とよばれています。
当協会が、このしずくが集まって大河をつくるように大きく発展していくよう、願いを込めて命名いたしました。
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《巻頭言》
◆社会参加へのバリアフリーを目指して
会長 中西美雄
平成21年の6月は、民主党による国会の審議拒否、22年の6月は鳩山総理大臣の辞任、やっと12月になって「障害者自立支援法改正案」が成立した。といっても、実際の運用は、厚生省の省令などの変更後、遅くとも平成24年4月までとなっているといいます。21年に成立していれば今春から実施されていたことでしょう。
この改正案では、利用者の負担軽減が図られたことと重度視覚障害者の移動支援が「同行援護」となり、国の指針により運用されることになったことです。今までのように地域によってサービス内容に大きな差ができないものと思います。が、地域(市町村)の負担がなくなるわけではありませんので、財政力が弱かったり、理解度が低かったりにより多少の差はあるにしても、富山県内においてはおおいに期待できるのではないかと思います。
ゆきしろ62号でも少し紹介しましたが、県内の銀行との「代筆・代読」について合意をみることができました。これは、代筆については、複数の行員により確認しながら、また、代読については、他の来店者に聞こえないように配慮して行うことや、窓口での送金や通帳の変更などの手数料をATM並みでできることや、行内の誘導なども行ってもらえることになりました。
これらのサービスは、北陸銀行では9月中旬から、富山銀行と富山第一銀行については10月から、窓口における視覚障害者へのサービスが、銀行の業務として内規の変更により実施されています。内規の変更ということは、本店でも支店でも同様のサービスが受けられるということです。
この他にも、富山信用金庫、JAバンクなど、県内の金融機関のほとんどがこのサービスを行ってくれるものと思います。
また、12月になって富山県視覚障害者福祉センター内に「視覚障害者用福祉機器」の展示場を作ることになりました。現在は、プレクストーク、プレクストークポケット、カラートーク、物知りトーク、タッチメモの5品目を購入し、センターに展示してあります。
これは、会員のみならず、来訪者や相談に訪れた人たちへも視覚障害を補填する機器としてごらんいただき、「実物を手にする事によって、カタログでは得られない情報を提供したい」という願いの元に設置されたものです。今後は、随時数をそろえて、皆様の参考になればいいと思っています。
8月に富山支部が「太閤山ランド」において、「タンデム自転車」の体験会を開催されました。「この自転車で公道を走りたい」との要望が多く寄せられました。その要望を受けて 10月31日に、県視障協の事業として実施すると共に、富山支部と協力して富山県公安委員会など関係機関へ要望書を提出して、その実現を目指して運動に着手したところです。近い将来には県内の公道を二人乗りの自転車が走れるようになることを期待しています。
私は「更正相談会」など支部行事に参加させていただいてきました。その中で、情報を沢山お持ちの方、全く情報をお持ちでない方、情報を持っていてもそれを利用しようとは思われない方など人それぞれですが、情報を必要としておられる方や情報を利用したいと思っている方には、十分な情報が伝わるようなシステムが必要かと思っています。
その一環としてホームページの公開や会員のメーリングリストがありますが、そのほかにも、現状では支部長や地域の相談員を通したり、センターへ直接問いかけを行っていただくなりして、より豊かな社会生活を営んでいただきたいと思っています。そのために社会福祉があり、視覚障害者協会があると思っています。遠慮なくご意見ご要望をお寄せいただきたいと思います。その一人一人の声が福祉を向上させ、生活を豊かにするものと思います。
さて、最後になりましたが、大変残念なお話をしなければなりません。それは、去る12月31日の夜、私たちの名誉会長の田島豊秋さんが逝去されたということです。
平成20年の「米寿を祝う会」の時は、あんなに元気で楽しそうだった名誉会長。その後も何度か元気な姿とお会いしていましたが、その都度にこやかに声をかけていただいていました。それが、10月半ばになって急に腰が痛くなり緊急入院されたと聞きました。お見舞いに行ってもなお元気にお話しておられました。
ところが、検査の結果他に病巣があることが分かり手術された後、懸命に療養されましたが力尽きご永眠なさいました。田島さんは協会のために力一杯尽くしてくださいました。
昭和56年4月に浅地会長が急逝された後を引き継がれ、直ちにセンター建設という大事業を成し遂げられました。また、流杉老人ホームに「視覚障害者専用棟(20床)」を併設されるなど、大きな功績を残していただきました。私たちはいつまでも田島名誉会長を忘れることなく“協会の父”として後世に伝えていかなければならないと考えています。
今一度、会員一人一人が田島名誉会長の「福祉への思い」を「情熱」を偲んでいただき、「今日よりも明日、明日よりも明後日」の福祉社会の実現を目指していただけることを期待いたしております。
《行事報告》
◆平成22年度ボランティアと利用者交流会の報告
施設部担当副会長 堀 惠一
本年は7月4日(日)、富山空港ターミナルビルを会場に約120名の参加を得て、にぎやかに行われました。会場へは、JR富山駅北口とライトセンターから、福祉バスを利用しました。
午前の部の交流会は10時30分から3階のレセプションルームにて開会しました。中西会長の元気なあいさつに続き、富山空港ターミナルビル業務部参事平井賢一氏による富山空港の設備や業務についての楽しい説明を聞きました。
現在富山空港には国内線が1日7便と国際線定期路線としてソウル、上海、大連、ウラジオストック便の四路線があり、昨年は国内線84万人、国際便10万人の利用があったそうです。
また、一番の特色として、河川敷にある空港で9時から3時の方向(南北)に滑走路があり、飛行機は風の向かう方向に離着陸するので、好きな南北の風だけで東西からの風があまりなく飛行機がいやな横風がなく大変離着陸しやすいのも特徴だそうです。
また、滑走路は二千メートルあり、堤防の外にあるターミナルビルと河川敷にいる飛行機を結ぶパッセンジャーボードブリッジの長さが世界一の85メートルだそうです。
また、富山市中心から車で15分位と近いのもめずらしい。空港内では航空局、税関、入国管理局など11の官公庁の職員や民間の事業所などあわせて400人が働いていらっしゃるそうです。
開会式に引き続き、ボランティアさんと利用者がペアになり、ビル内を見学しました。ビルは三階建てで国内線、国際線とあり、一階にはサービスカウンターがあり、ロビーには季節がら子供達が作った七夕飾りが立ててありました。二階には売店があり、いろいろな富山のみやげものなども並んでいました。三階には会議室、レセプションルームがあります。点字ブロックなども結構敷設されバリアフリーにも配慮されているようです。
天候が悪く上空に待機していた飛行機がちょうど着陸する時刻ということで、屋上展望台では小雨模様でしたが、いくつものペアが集まり、轟音とともに着陸する光景を音とともに楽しみました。空を飛んでいる時に聞いているゴオーと違うキーンというジェットエンジンの音でした。
昼食をはさみ午後の部は13時から会議室にて点訳グループ、レセプションルームでは音訳グループ、と別れての意見交換会に移りました。
◎点訳グループにはボランティアさん17名、利用者13名、付き添い2名の参加があり、堀とコスモスの会の田上和代さんが進行を勤めました。
はじめにコスモスの会の会長神保和子さんが点訳図書の制作の流れ、制作していて努力していること、困難なこと、出来るだけ速く読んでもらえるように努力しているなどを話していただき、その後一人ずつ自己紹介をしながら、いろいろな意見を言っていただきました。
ボランティアの皆さんはコスモスの会、点友会、日赤点訳奉仕団の方が参加されていました。
コスモスの会では今までは自分の好きな本を選んでいたが、最近は皆さんで相談して決めて幅広くえらんでいる。皆さんからの要望があればなおいいので、希望を出してほしい。
点友会では本部のほうからいわれる本をやっているが、自分では選ばないようなものにも出会えるので新しい発見があっていい。点訳者挿入符については難しく悩むところであるが点訳者の思いでいれるが、作者の気持も含めて、読者に判断出来るようにするのがいいのではないか。
以前の一つ一つの点訳本から最近はパソコンによる点訳も増えている。手打ちの場合の訂正についてもやり方に注文がありました。最近は新しい符号なども出てきており、読む側として分からないこともあるので、講習などもあっていいのではないか。
また、一人の人は点訳本を読んでいるとすぐ疲れていやになるので、あまり読めないと言われ、皆でどのように読んでいるか、どの指を使うかなどいろいろ活発に意見が出た。
手元に残したい本は点字がいいと点字を大切にしていらっしゃるという意見もでました。また、医学書などの点訳を頼まれるが、すでに古くなっているものなどは依頼者とコミュニケーションをとってやった方がいい。富山県ではデータとして小説が好まれている。
また、以前から言っていたが、点字本を送付する郵送袋が小さく、古くなっているので、新しい物にしてほしいと再度要望がでました。
いろんな意見を出していただきましたが、ボランティアさんも自分流にならないように常に勉強して、技術の向上に努めていらっしゃるという話をお聴きし、改めて感謝でした。
◎音訳グループではボランティアさん37名、利用者43名、付き添い5名の参加でした。進行を安田庄内さんとあゆみ会の松村邦子さんが勤めました。
はじめに音声訳に関すること(音声訳、調査、校正、録音など)、テープ編集に関することをあゆみ会会長中川照子さんに、デイジー編集に関することをひまわりの会森睦子さんに発表していただき、利用者の立場からも高岡市の田口明美さんの意見発表がありました。
その後、参加者全員が自己紹介を兼ねて一言ずつ発言しました。最後に全体会が開かれ、音訳グループからは声のライブラリー友の会藤井知子さん、点訳グループからはコスモスの会の内山町子さんより報告があり、おかげさまで無事に閉会しました。
今年もいろいろ意見交換をし、新しい情報を得たり、お互いに理解を深められたのではないでしょうか。これからも今後につながるような交流、研修を続けていきたいと思います。来年も多くの皆様の参加をお待ちしています。ありがとうございました。
◆第36回富山県視覚障害者球技大会報告
厚生部 舟川 由紀子
8月22日(日)「第36回富山県視覚障害者球技大会」が南部中学校グランド、富山県視覚障害者福祉センターの両会場において開催されました。
午前に行われた「グランドソフトボール」には、社会人より18名、県立富山視覚総合支援学校より9名の参加があり、今回は、社会人チームと、視覚総合支援学校チームに分かれての試合が行われ、「1回・1対0、2回・3対0、3回・1対0」「5対0」と、やや(?)平均年齢が勝り、豊富な経験を生かした社会人チームの勝利となりました。
また、センターにおいて、午前より行われていた「サウンドテーブルテニス(アイマスク有)・女子の部」に12名。午後からの「サウンドテーブルテニス(アイマスク有)・男子の部」には6名。今年初めて行われた「サウンドテーブルテニス(アイマスク無し)・男女混合の部」に、10名の参加を得て、こちらもさまざまな熱戦が繰り広げられ、大会を盛り上げていただきました。
大会結果は次の通りです。
<グランドソフトボール>
優勝 社会人チーム
最優秀選手賞 増山 智(社会人チーム・富山支部)
優秀選手賞 大橋 雅之(視覚総合支援学校チーム)
優秀選手賞 飛田 功平(社会人チーム・富山支部)
<サウンドテーブルテニス(アイマスク有)・女子の部>
1位 徳市 和美(高岡支部)
2位 太田 蓉子(射水支部)
3位 本江 とみ子(射水支部)
<サウンドテーブルテニス(アイマスク有)・男子の部>
1位 塘添 誠次(射水支部)
2位 谷口 智秋(視覚総合支援学校)
3位 田中 孝(富山支部)
<サウンドテーブルテニス(アイマスク無し)・男女混合の部>
1位 徳市 秀晴(高岡支部)
2位 池田 一義(富山支部)
3位 高橋 亨(富山支部)
優勝、入賞された皆様、おめでとうございます。今年の夏は異常なまでに暑い日が続き、空模様以上に気温の上昇が気にかかる中での大会となりました。
また、今回初めて「サウンドテーブルテニス(アイマスク無し)・男女混合の部」が行われ、少々とまどわれた方もおられたように思いましたが、「これだったら、何となくできそうかな?」なんて声も複数の方よりいただきました。
この大会が、今後益々よりよい大会になるよう、会員皆様のご意見、ご感想をお寄せいただければ幸いに思います。
最後に、競技への参加、ご協力いただきました選手並びに審判の皆様、そして、暑い中応援に来てくださった皆様に心より感謝すると共に、次回、より多くの皆様がご参加くださる事を念願し、大会報告とさせていただきます。
◆宿泊研修(家族激励大会・山岳歩行訓練・研修会)
厚生部部長 白口 務
今年の家族激励大会は9月11日(土)から12日(日)の2日にわたり「立山国際ホテル」に於いて開催されました。
県下各地から90名近くの会員が参加し、宿舎到着後、受付を終えた人から1階の「桂の間」に入り、2時から激励大会が始まりました。
塘添副会長の開会の言葉に続き、中西会長が挨拶の中で、ガイドヘルパー利用については県下統一が望ましい、金融機関における代読、代筆の要求(後日県下の金融機関に認められた)、センターに日常生活福祉用具常設展示をしたいと話された。
歓迎の言葉を堀惠一富山支部長が、立山界隈について縷々説明し歓迎の言葉とした。
来賓、富山市長の代理保健部次長碓井昭夫氏、富山市議会議長の代理市議会議員笹木豊一氏(厚生委員長)、富山市身体障害者福祉協議会会長多賀清成氏等の話をまとめてみると、会員の見聞を深め、私たちの身分、行政、障害者共に少しずつ前進しているので諦めずに、又残存機能を充分発揮し、健常者に対しては感謝し共に生きるようにとのお願いも含めた激励の言葉だったと思います。
第28回全日本マスターズ・ウエイトリフティング大会に出場された事務局の作田さんが優勝されたので、この会場において報告し、記念の盾を贈呈いたしました。おめでとうございます。今後の活躍を期待します。
激励大会終了後、手荷物を持って各部屋に移動。その後、玄関前3時20分に集合し、歩行訓練の点呼、及び注意点を説明。各々バスに乗り込み目的地の千垣駅近辺迄行き下車し、有峰口、砂防ダム広場迄約2.5kmの歩行訓練でした。
曇り空で快い汗をかき、年々高齢化が進むせいなのか先頭から最後尾まで長い列に成り、今後の課題ではないかな?と思いました。
--本宮(ほんぐう)砂防堰堤の概要--
常願寺川砂防の要を成しているこの堰堤は貯砂量500万立方mを有する、我が国の代表的な砂防堰堤です。高さ22m、長さ107.4m、貯砂量500万立方m。
常願寺川水辺の楽校
*総合学習の時間を利用した体験学習の場として利用する事ができ、常願寺川の砂防事業、自然、文化、歴史を学ぶ事ができます。
*常願寺川流域の小学校や地元と連携することで積極的な交流が可能となり、活動に際し地域の活性化に寄与します。
と公園の掲示版に書いてありました。
4時30分頃ホテルに帰り、各々各部屋に戻りました。その後温泉に浸かり、歩行訓練での汗を流して、懇親会の時間を待つ間各部屋で日頃の話題で花が咲いていたようです。
6時30分より待望の懇親会です。中西会長の挨拶に続いて乾杯の音頭を相談役の二口氏により発声され宴会が始り、皆さんの自慢のノドを披露され、中には歌手顔負けの方もおいでて、楽しい時間を過ごさせていただきました。常務理事の萩中氏により万歳の三唱を唱和して宴会が終わり、各部屋に帰り明日の講演会を聴くために寝床につきました。
12日10時より研修会。「立山の歴史と文化」と題して立山博物館学芸課長野口安嗣氏。
山と人のかかわり、山は神がおりたつ場所、万葉集にみる立山、山は霊魂がすむ場所、立山開山伝説と「立山曼陀羅」、成人儀礼としての登山等々詳しくそして楽しく勉強させていただきました。
越中の男子は、立山に登らねば若者の仲間入りはできぬ風習があった。清らかな着物に着替えて出掛け、登山の間、家の者は身を慎み、下山の時は、「立山権現」の赤旗を立てて勇ましく帰り、村の者が揃って出迎え、餅をつき赤飯を炊いて祝うのであった。越中以外にも信者が多く、衆徒を道者として立山講を結成していた。四国の信者が釣鐘を寄付したが、途中で土地土地の信者がリレー運搬してくれたといい、立山信仰の力の大きかったことがうかがわれる。
立山は昔から全国の信仰を集めた霊山であった。山そのものが神と考えられた時代もあった。万葉集には、多知夜麻は神が支配する山だと唱っている。日本国中の亡霊が立山の地獄におちているというのである。このように、神としての立山の信仰に新たに仏教的要素が加わり、神仏混合の風ができた。
江戸時代になると、もはや荒行の修練場ではなくなり、地獄の恐ろしさや神仏のありがたさも薄らいだ。明治になると藩の保護がなくなり、そのうえ神道と仏教が分離され、とくに仏教色は一掃されてしまった。近年、信仰の山、立山は次第にスポーツの山と考えられるようになり、ことに戦後はすっかり観光の山に変貌してしまいました。
11日の激励大会、歩行訓練、懇親会そして12日の研修会、大変有意義な2日間でした。事務局の皆さんそして会員の皆さん、本当にごくろうさんでした。
来年は射水市が担当ですので、射水市の皆さんよろしくお願いします。来年も皆さんと会えることを願っています。
◆アコースティックな響きが!
第34回視覚障害者文化祭・福祉機器展
文化部部長 上坂敏彦
第34回視覚障害者文化祭・福祉機器展は、10月3日(日)、富山県視覚障害者福祉センターで開かれた。10時に、研修室にて中西会長挨拶で開会。昨年より文化祭に演奏をお願いし、ようやく実現したハープ奏者川村文乃氏の演奏を聴くことができた。
1曲目に、ハープならではの曲「引き潮」、童謡・唱歌・越中おわらと「ロンドンデリーの歌」など、スタンダードナンバーも取り入れ演奏。合間に、ハープは壁画にも描かれているくらい古い楽器である歴史、値段や弦の材質・本数、ペダルで音を変化させるといった構造などトークも交えて、アコースティックサウンドを楽しみました。
リクエストしたかった「いつも何度でも」やハープでの「愛の挨拶」も聞け至福の時を過ごしました。また、貴重な楽器にも触れることができ良かったです。
続いて研修室では、電子白杖の開発に携わっておられる秋田精工の方より杖の説明を聞き、午後12時からセンター隣駐車場にて、数名ずつに分けて体験した。
福祉機器としては、DAISY図書を聞いたり録音できるプレクストークや持ち運びのできる活字読み上げ装置〈携帯リーダー〉など展示。その他館内では、会員の手芸文芸等作品展示や漢点字ブースも設けられていた。
コーヒー・茶席・飲食物販売も好評で、今回手作り販売コーナーには、白杖ケースをいろんな布地を再利用し作り、販売していた。
午後は、生きがい教室発表があり、フラワーコーラスの合唱、詩吟・二胡の演奏、民謡クラブによる数々の歌と演奏が、披露された。最後のカラオケは、予定時刻を少しオーバーしましたが、楽しく1日を130人を超える参加者とボランティアの協力に支えられ、無事終えることができました。
◆点字競技会とパソコン競技会
文化部 高島ヒサ子
10月24日(日)富山県視覚障害者協会の研修室において、第59回点字競技会と第11回パソコン競技会が晴れ渡った秋晴れの日に開かれました。会場である研修室は明るい声がいっぱい、あちらこちらから飛び交っていました。仲間と会えた喜びになんだか感謝したい気持ちになりました。
はじめに中西会長の挨拶があり、次はこれから行う点字競技についての諸注意がおこなわれ、いよいよ競技が始まりました。
1.記憶書き(短文) 2.写し書き(転写) 3.録音聞き書き 4.速読み
点字は速く正確にがモットーです。ところが「はじめ」の合図に誰もが多少あわてる人・落ち着きがなくなる人、いろいろなハプニングが次から次へと・・・。でも私が特にひどいんかな。でも私の場合はこの歳になってこんな競技はいやだと思っても不思議に学生時代がよみがえり恥をかきかきうれしくなるから、なんとも不思議な競技です。
審査員の講評 土田庄二先生
写し書き・・・同じ行を二度書いた人がいた。マスあけは何々するで必ずあけること。
速読み・・・松波さんがダントツで大変速かった。できたら点字毎日などをいっぱい読んだ方がいいと思う。とおっしゃいました。
成績発表 第59回点字競技会
○団体 第1位 高岡市チーム、第2位 射水市チーム、第3位 富山市Aチーム
○個人総合 第1位 松波律子(高岡支部)
○一般の部 第1位 松波律子(高岡支部)、第2位 小林 幸(富山支部)、第3位 安達 実(富山支部)
○中途失明者の部 個人総合
第1位 岩黒勝義(射水支部)、第2位 塘添誠次(射水支部)、第3位 谷内幸子(富山支部)
○田島杯 田中 孝(富山支部)
パソコンの講評 ボランティア 高井めぐみ先生
まず打つ量の多さに感心した。漢字変換もよくできていた。長文の書き出しは必ず一マスあける。改行したら、また一マスあけるということに気をつけてほしい。短文の聞き書きはSTT大会は大文字で書いてほしい。Qも大文字で書いてほしかった。
成績発表 第11回パソコン競技会
第1位 田口明美(高岡支部)、第2位 山口 勇(高岡支部)、第3位 安田庄内(高岡支部)
午後からは携帯電話に関するパネルディスカッションが行われ、パネラー(中西美雄・田口明美・定塚剛成・上坂敏彦)はすごい携帯に詳しい方々でした。見ていた仲間は静かに、ただ見守るという感じでした。見ていた友達は思ったほど興味を示していないように感じました。
審査員の皆様ボランティアの皆様本当にありがとうございました。職員の皆様もいろいろありがとうございました。
◆災害時の対応について
~ 平成22年度更生相談会から ~
厚生部担当副会長 山内正一
富山県視覚障害者協会更生相談会は、去る12月5日(日)富山県視覚障害者福祉センターで開催された。
冒頭中西会長は、「昨年に引き続き、避難訓練第二弾として実施する。」「火事や救急事態に対する対応策についてご指導いただくが、これらは、あってはならない事ではあるが100%ないとはいえない、心して聞いてほしい。」と挨拶。
続いて、講師としてお招きした富山消防署の5人の方々から、「最近の火災概況と火災予防」、「義務化された住宅用火災警報機について」等のお話を聞き、さらに実技として「緊急通報の実際」についての実地指導を受けた。
その中、記憶に残った事項は
○ 「最近の火災概況と火災予防」について
・ 富山市の本年(平成22年)1月から昨日(平成22年12月4日)までの火災発生件数は74件、昨年同日に比べ1件減。但し建物(住宅)火災等は61件で、昨年より8件増。
・ 富山県の昨年までの出火率は全国最低、本年も達成できれば20年連続最低の記録になるが、現在京都府に抜かれている。(出火率=人口1万人あたりの出火件数)
○ 「義務化された住宅用火災警報機について」
・ 住宅用火災警報機は煙を感知して警報を出す機械、119番通報はしてくれない。火災による死者の数が22時から6時の就寝中に最も多く、逃げ遅れを少しでもなくしようと、平成20年6月1日から一般住宅でも義務設置となった。寝室の天井や壁、2階建ての場合は階段室の天井が対象。
・ 警報機の電池切れ警報については、音で知らせる、ランプで知らせる等、機種により異なり確認していない。火災と違った警報があった場合、臭いや煙等があればまず逃げて通報してほしい。(質問から)
○ 「緊急通報の実際について」
・ 消防署には出前講座として「消火器の体験」「煙の体験」「119番通報の体験」等があるが、今回は相談の結果「119番通報」を体験していただくことにした。
・ あわてず「火事か救急か」「住所・氏名」「具体的状況(火災・事故等)」等について連絡する。わからなければ「わからない」でよい。
・ 講義・説明後、有志による模擬通報訓練を実施。会場全員で類似体験をした。
「災害からいかにして身を守るか。」は最も大事な課題である。今回、厚生部が企画した「煙からの避難」は、訓練し、体験できる機会としてぜひとも実施したい事柄だった。が、かなわず、残念であった。
「火災ですか、救急ですか。 …… 救急です。」「どんな状態ですか。 …… 顔や全身を殴られたのか、出血し腫れて、うずくまっています。」 11月下旬、東京のどこかでこんな通報があった事を想像しながら、今回の講演を聞いた。
通報はさらに、「あなたのお名前は? …… ○○○○です。」「怪我人は? …… □□□□です。」と続いたに違いない・・・。
《大会参加報告》
◆ボランティアと利用者交流会に参加して
高岡市 田口明美
7月4日(日)、年に一度のボランティアと利用者交流会が、富山空港のターミナルビルで行われた。この日は朝から雨模様で、湿気が体に纏わり付くような、正に梅雨本番といった感じの気候だった。
最近は年のせいか富山へ出かけるのが随分億劫になっている私だったが、点訳、音訳ボランティアの方々には日ごろ大変お世話になっていることでもあり、彦星と織姫のように年に一度ぐらいお会いしてお礼を言わなければと、重い腰を上げたというわけだった。
交流会は、午前中が空港の方の説明の後、ボランティアと利用者とでペアを組んで、ターミナルビルの見学だった。午後から音訳、点訳とそれぞれに分かれての意見交換だった。
午前中の空港の役員の方の説明は、聴いているときはとても面白いお話だと思っていたのに、はて、いったいどのような話だったか、まるで頭から抜け落ちてしまった。
おまけに見学の段になって、私をエスコートして下さったのは「ひまわりの会」のSさんだったのだが、空港の話題とは程遠い、お互いの境遇のことで話が盛り上がってしまい、Sさんが「飛行機が着陸する所見ますか」と聞いて下さったとき、「飛行機は見るもんじゃないでしょう。乗ってナンボのもんや」というのが私の答えだった。Sさんは「そうだねえ、飛行機は乗るもんだねえ」と笑いながら、いや、呆れながら私に合わせて下さった。
しかし、空港の役員の方の「売店でお土産を買って行って下さい」と言われたのだけが耳に残っていて、我が子への土産を買うことだけは忘れなかった。
午後からは私は音訳のグループの方に参加した。皆さんの発言の前に、音訳ボランティアと利用者を代表して3人の方々の発表があった。
発表は
①音声訳に関すること(音声訳、調査、校正、録音など)、テープ編集に関することを、「あゆみ会」の中川照子さん。
②デイジー編集に関することを、「ひまわりの会」の森睦子さん。
③録音図書の利用について、高岡の田口明美でした。
私は自分の発表を控えていたため落ち着かず、最初のお二人のお話がほとんど頭に入っていなかったが、音声訳について最初にデイジーで録音をし、その後に必要があればカセットテープに録音するとのこと。だから万一、ダビング機が壊れた時や、カセットテープが市販されなくなっても、録音作業の手順を変更する必要がないという事のようだ。将来の事を考えての録音手順だと思った。
私の発表は、実につまらないものだったと思う。まともだったのは冒頭のボランティアの方々への感謝の言葉と、終わりの「これからもどうか私たち視覚障害者に、沢山の情報と、知識と、夢を与えて下さいませ」という言葉だけだった。
これだけを言うのなら、ものの1分もあれば充分だったのに、こともあろうに私は10分あまりも愚にも付かないことをしゃべっていた。昼食後のことでもあり、聴いておられた皆様方は多分、上瞼と下瞼が仲良し状態になられたことだろう。いびきが聴こえて来なかったのが私にとってはせめてものことだった。
代表者の発表の後は、参加された皆様方の自己紹介を兼ねた発言があった。こちらはとても充実したもので時間が足りなくなるのではと、はらはら状態だった。こんなことなら私のつまらない発表など省いたほうが良かったのではと後悔することしきりだった。最後に記録係の方の纏めで、交流会は無事終了した。
外は梅雨独特のじめじめ状態だったが、空港ビルの中は程好くクーラーが効いて、梅雨を忘れさせるような快適さだった。本当に和やかな交流会だったと思う。お世話をして下さった皆様に心から感謝申し上げたい。
◆平城京遷都1300年祭に参加してきました。
高岡市 竹島好子
8月1日(日)、奈良の平城京1300年祭に参加するため高岡を8時に観光バスに21名全員が合流し、一路奈良に向かって出発した。
車中では塘添旅行団長のご挨拶があり、今回参加者が少なかったためか?ガイドさんの代わりに、山内さんが、日頃の得意技を交えながら、平城京のDVDを聞かせてもらい退屈することなく知識を得ながら走りました。
彦根辺りで、美味しい牛シャブで昼食を頂き、また走ること2時間位かな?今日の見所である奈良公園に無事到着しました。先ずは春日大社です。日本の世界遺産に登録されている春日大社といえば、鹿だ。この鹿とゆかりの深いのは神様が白い鹿に乗ってこの地にこられたと伝えられ、以来一帯では鹿が大切にされるようになったようで、沢山の鹿が私たちの間を右往左往してくぐり抜けてゆく。おせんべいを与える人、体や角を触る人、幼い子供に還ったようです。
しかし、私は怖くて何も出来なかった。この沢山の鹿たちは夜どこで眠るのだろうか?などと話しながら当地の観光ガイドさんのユニークな説明を聞きました。
次に東大寺に行きました。昔から奈良の大仏さんは日本一と聞いてはいましたが、今だお目にかかったことはありませんでした。東大寺の入り口の大門は迫力がある。その大門をくぐり、私たちは特別に上段に上げてもらい、大仏様が蓮の御台座に鎮座されている様子を目の当りで拝観させていただいた。
そしてお許しを頂いて、大きな大きな御鈴を鳴らさせてもらった。釣鐘のような何とも心髄に染み入る音色で心が清められたようだった。もちろん、中に鎮座される15メートルの大仏様は世界最大の金銅仏だそうだ。また大仏殿の一本の柱の根元に、大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴が開いていて人々がくぐり抜けを楽しむことも出来るようだった。
次に興福寺は、奈良時代から平安時代にかけて勢力を誇った藤原氏の氏寺であり、ダントツの人気を誇るのが国宝館にある阿修羅像である。三つのお顔にそれぞれ2本の手があり、三面六臂というようだ。阿修羅像の高さは153.4cmで名前には反して穏やかなお姿だそうです。
この国宝館には90点もの文化財が展示されているが、残念ながら見えないので理解できなかった。そして1300年前にさかのぼって藤原の盛んな頃を脳裏に浮かべながら宿舎に着きました。
懇親会をそこそこにして、夜は日本の明かりの祭典が奈良公園であるので、ほとんどの人が参加したが私は明日に備え、部屋に帰った。
明かりの祭典では興福寺の五重の塔がライトアップされていて、広大な暗闇の奈良公園に浮かびとても幻想的で感動したと付き添いの彼女が報告してくれました。
8月2日(月)、昨夜は疲れもあってとてもよく眠れた。朝食を済ませ、テレビの連続小説「ゲゲゲの女房」が終わってから急いでバスに乗車した。少しばかり走ったらすぐに平城京の広場に到着。
平城宮跡場内はとにかく広い。甲子園球場の30倍以上の面積があるようで、朱雀門は朱色の柱に白壁が塗られていて、とても鮮やかで美しいという。これは1998年に平城京1300年祭にあたり当時の門を復元されたようです。
私たちは朱雀門広場の観覧席で開門式を静かに待ちました。やがて広場では女性のアナウンスで外国語も含めセレモニーの始まりを告げてきた。打ち鳴らす太鼓の音とともに厳かに扉が開かれ、天平衣装をまとった衛士が数人、弓矢を掲げ、ちょっとしたパフォーマンスをしたようだ。小さな歓声が上がり開かれた門の遠くに、大極殿が小さく見えるようだった。
お待たせ!衛士が通り抜けてから、私たちはおもむろにお通りです。朱雀門を通り抜けると皆さん振り返ってカメラのシャッターを切っているようだ。また平城宮跡は世界遺産に登録されている史跡でありながら、その中を近鉄電車が走っていて、踏切があります!!世界遺産の真ん中を電車が通るというのも珍しい光景ですね!
次に平城京歴史館と遣唐使船復原展示場に行くため、暑い中を歩いた。小砂利の敷き詰められた原っぱを皆さん連なって歩く。歩いても歩いても広大な土地は、延々と続き、皆さん黙々とひたすら歩いた。時々涼しい風が頬をなでてゆく。気持ちいいーー!!尋ねると吉野さんのお嬢さんが団扇で一生懸命に扇いでいてくださるという。極楽、極楽と感謝しながらまたひたすら歩く。
ようやくたどり着いたパビリオンで一息ついた。そして遣唐使船に乗船してみた。1300年前の原寸大に復元された船は誠に小さい。全長30mの遣唐使船に実際乗ってみて、遣唐使たちは、この船で、荒海を乗りこえ、他国の文化や技術を学ぶために命がけで渡航した昔の人たちの貪欲までもの思いに触れたようでした。
昼食は簡単な休憩どころで、冷房も無かったが幕の内弁当は、とても美味しく頂きました。そして、隣接するお土産店で思い思いに買い物をして、また汗して歩くのかと覚悟を決めてたのですが「ハートフルカート」というお年寄りや子供、妊婦や障害者のみが乗ることが出来る二両編成の電気カートに乗せてもらい、ユーユーと観光バスのところまで運んでいただきほっとしました。
この度の研修旅行を通じて、今から1300年もの昔の日本の中心である奈良の都として、平城京に遷都され聖武天皇の宮殿として栄えた、そんな人たちの生活の痕跡が地面の下に限りなく埋まっている場所ですので、その雰囲気をそれなりに味わうことが出来たのではなかろうか。
そして「心頭滅却すれば火もまた涼し」といいますが、今年の夏は記録的な猛暑続きでしたが奈良はそれほど暑いとは思いませんでした。そして色々と計画してくださった皆さんや、付き添いの皆さんのお陰で良い思い出を納めることが出来ましたこと、心よりお礼申しあげます。
◆タンデム自転車体験会に参加して
富山市 上沢淳一
今日「タンデム自転車体験会」が県民公園太閤山ランドで行われ参加してきました。このイベントは今年8月にも行われ好評だったので、今回2回目の開催となりました。今回は、会員25名に加えて、多くのボランティアさんなども多数参加されました。
まずは開会式でタンデム自転車の乗り方やマナー、作法など学習しました。タンデム自転車は、二人分のハンドルと、ペダルとサドルがあります。前には晴眼者(パイロット、またはキャプテンとよびます)が乗り、後ろには視覚障害者(ストーカとよびます)が乗ります。この、ストーカという言葉は機関車に石炭をくべるという意味もあるそうです。タンデム自転車は前の人は普通に運転していきますが、後ろの人はそのまま乗っているだけでよくハンドルとかも付いていますが動かない仕組みになっていて、ペダルは前、後ろ同じ動きをします。
タンデム自転車の乗り方、作法などの説明など終わって、いよいよ二人一組になっての実践が始まりました。スタートして、最初は下り坂ということで、すごく不安になりました。でもすぐ平坦な道になり、前の人と同じ感覚でペダルを滑らかに漕ぎました。すると、自転車に乗っているという感覚になってだんだん慣れてきました。そのうち上り坂になると、急に減速した。でも、平坦な道になると自転車はスムーズに進みました。
今日は天気もまずまずで、爽やかな風を感じながら公園内をゆっくり走りました。そして、普通に自転車に乗っているという感覚になり、小さい頃、自転車に乗ったときのことを思い出したりもしました。午前は2回ほど乗り昼食になりました。
午後も13時から15時くらいまでペアを交代しながら自転車に乗りました。自転車に乗っていると道沿いのいろんな音が聞こえてきて、また違った面で楽しめました。今日は夕方から雨という予報もでていたことや少し風も冷たくなってきたということで、15時に終了となりました。
タンデム自転車は、現在、一般道などでは禁止されているみたいですが、今日の体験を元にして、県に要望をして一般道でも自転車に乗れることを働きかけていくそうです。これが実現すると、晴眼者と視覚障害者が自転車でいろんな場所に移動できて行動範囲が広がるということで、私もすごく楽しみにしています。
今日は貴重な体験ができてほんとうによかったです。そして、思いやりとかきずなとかを感じた1日でした。こういうイベントがまた来年もあるとは思いますが参加してみたいと思っています。
最後にタンデム自転車のイベントでは多くのボランティアさんなどにご協力を頂き、ありがとうございました。また、ここまで準備された、県の視覚障害者協会様、富山市視覚障害者協会の皆様、そして自転車を貸して下さった公園の皆様本当にどうもありがとうございました。
*2010年11月1日の富山新聞、及び朝日新聞に、この日のタンデム自転車の事が掲載されました。
記事の中で、中西美雄協会長は「全国的に二人乗り自転車の公道での走行を認める県が増えており、富山県でも走行可能になるように関係機関に働き掛けたい」と話しておられました。
◆第19回北信越サウンドテーブルテニス大会参加報告
サウンドテーブルテニスクラブ 舟川 由紀子
11月13日(土)・14日(日)の両日、「第19回北信越サウンドテーブルテニス大会」が、新潟県新発田市月岡温泉・ニューホテル観月において開催されました。
19回を数える「北信越大会」が、ホテルを会場に開催されるのは、初めての事だそうです。このホテルは、隣接していて廃業したホテルを統合したとの事で、その統合された玄関ロビーに1台。ロビーすぐ横、一部板張りにされた宴会場に4台と、計5台の卓球台を設置し、競技が行われました。
富山県からは、選手9名(男子3名・女子6名)と審判1名の計10名が参加。13日午後は、個人戦。14日午前には、団体戦が行われました。
また、14日、団体戦が行われている一方で、団体戦に出場しない選手により、北信越ではほとんど行われていない「サウンドテーブルテニス ダブルス」の交流試合が、今回初めて行なわれていました。
結果は、次のとおりです。
<個人戦>
● 男子アイマスク有の部
1位 住吉(長野県)、2位 井上(新潟県)、3位 中西(富山県・富山支部)
● 女子アイマスク有の部
1位 住吉(長野県)、2位 本江(富山県・射水支部)、3位 柳田(富山県・富山支部)
● 男女混合アイマスク無しの部
1位 北川(石川県・女)、2位 長谷川(新潟県・女)、3位 前川(福井県・女)
<団体戦>
1位 長野県Aチーム 住吉(男)、山本(男)、住吉(女)
2位 新潟県Aチーム 井上(男)、関(男)、長谷川(女)
3位 富山県Aチーム 塘添(射水・男)、中西(富山・男)、徳市(高岡・女)
以上です。
近年、サウンドテーブルテニスのルールが厳しくなってきています。しかし、その一方で、そのルールに、北信越のみならず全国大会においても同様、一部審判の方のレベルがなかなかついてこれていない現状があります。
そんな中、富山県選手が今回、審判の方の基本的な間違いにより、とても残念な出来事に巻き込まれてしまいました。
個人戦「男女混合アイマスク無しの部」予選リーグでの事。富山県選手のグループは、4人中2名が決勝トーナメントへ進出というところ、4名中3名が2勝1敗で並び、得失点差と言う事になり、その計算を審判の方が間違えてしまい、富山県選手を決勝トーナメントへ出場させたんです。
勿論、富山県選手はトーナメントが行われる前、違和感を感じ、何度も「自分ではないのではないか?」と審判へ申し出たのですが、審判は「間違いないから!」と言われ、富山県選手は、決勝トーナメントを戦い優勝しました。
しかし、優勝した直後、間違えていた事を告げられ、決勝トーナメントのやり直しが、行われたんです。決勝トーナメントはすでに終わっており、トーナメントのやり直しを拒否する事もできたかもしれませんが、当事者としては、なかなかそこまで強く言えないですよね。大会中はもとより大会後も、後味の悪い感じは残ってしまいました。
来年、「北信越大会」は長野県で開催されます。今、富山県の各選手は、今回の考えられない出来事もバネに、そして、あと1歩、いえ、あと半歩でのがしたより上の順位を目指し、すでに練習を始めています。
これまで、「北信越大会」では、「アイマスク有」のみが行われていました。しかし「2009年・富山大会」より、「アイマスク無し」も行われるようになってきています。
もし、興味をもたれた方がおられましたら、一緒に始めてみませんか! 「STTクラブ」では初心者の方も大歓迎。皆様のご参加を期待しつつ、大会報告とさせていただきます。
《三療部会》
◆平成22年度 三療研修会の報告
三療部会長 堀 惠一
平成22年11月21日(日)富山県視覚障害者福祉センターの盲人ホーム施術室において午後1時より会員21名が参加して三療研修会がおこなわれました。
今年度も黒部市鍼灸マッサージ師会会長の経塚泰久先生をお招きし、「手のシビレの鑑別と治療」と題して、実技を中心に、頚部から上肢の疾患と検査法、鍼治療の実際を学びました。
先ず患者さんがいらした時に「どうしましたか?」と尋ね、「シビレて長く手を上げていられない」と言われた時には、三分間挙上テストを行い、すぐ下ろしたがる方の手が悪い、という話から始まり、頚部から上肢にかけての疾患、頸椎症、神経根症候群、胸郭出口症候群、斜角筋症候群などと、その鑑別のための検査法、ライトテスト、エデンテスト、スパーリングテストなどについて、二人でペアを組んで、実際に操作しながら説明を受け、それぞれわからない所なども、やり方を見てもらいながらお互いに検査しました。
その後、一人にモデルになってもらい、実際に鍼の施術と治療点のツボの取り方を触らせてもらい確認しました。
とくに問診内容、触診の仕方、圧痛点の診かた、現れる症状など、五十肩、上腕二頭筋長頭腱炎、肘の痛みと上腕骨外側上顆炎、テニス肘、野球肘、腱鞘炎についても刺鍼部位、刺鍼肢位、また枕の高さ、膝枕、伏臥時の足首枕について。
さらに白ろう病の指先への灸、逆子の至陰への鍼灸の効果、頚部の有効な牽引法など、速効性のある遠隔部のツボの使いかた、先生が最近治療された事例などを話していただき、大いに実のあるにぎやかな研修会となりました。
先生からは、わからない事があったら、いつでもお電話くだされば、お教えしますとのことでした。ありがとうございました。
《みんなの広場》
◆登山で富士登山(須走口)計画から実施まで
高岡市 坂田 清
昨年個人山行として富士登山が計画され私も参加の予定で楽しみにしていた。全く予定もしていなかった日本盲導犬協会から1ヶ月の共同訓練の知らせを受け、富士登山との日程が重なり登山を断念した。
富士山との縁があるのだろうか。共同訓練は静岡県の富士宮だった。東側に聳える富士の様子を聞くのが一日の始まりであった。
職員の中には山好きの人も多い。視覚障がい者と登頂・盲導犬と登頂の話に花が咲いた。参加はできなかったが、昨年個人山行で三ツ星山の会の皆さんが見事に富士山頂に立たれた。2010年には、三ツ星山の会で富士登山の計画がある。計画の際には、参考になる意見も多かった。
このような過程を経て、実施案の作成に取り掛かった。中心は、経験豊かな事務局長のKさん。
実施日2010年7月10日(土)・7月11日(日)。7月下旬から8月上旬は登山客が多く混雑するために避けた。
~登山口 須走口~
富士登山には吉田口(河口湖口)・富士宮口・須走口・御殿場口の4ルートがあるが富士宮口は、岩場が多く急なために視覚障がい者にとっては危険が多いと判断。御殿場口は最長距離で山小屋も少ないために不適と判断。
吉田口(河口湖口)は、一般ルートで山小屋も多くスタート地点標高:2304mで須走口のスタート地点1970mよりも高いが登山客が多く混雑が予想される。
検討した結果、視覚障がい者にとって、安全なコースで山小屋の設備も良いと判断して須走口からの登山に決定。
スタート地点標高:1970m、歩行距離:14.0km(登り:7.8km 下り:6.2km)
山に慣れた人の休憩なしでの時間 登り:約5時間30分 下り:約3時間/三ツ星山行タイムは休憩を含んで、このタイムの1.3倍から2倍とした。
募集締め切り 平成22年5月下旬、参加費12,000円(1泊2食・保険料・交通費)
交通機関 マイクロバス。宿泊場所 見晴館
10日(土)富山集合 4時30分
登山開始11時30分・山小屋到着16時30分
11日(日)5時30分・山小屋出発・頂上10時。14時30分須走口に下山。21時富山着。
*5月上旬、計画の案を会員のみなさんに告知する。
参加人数・参加者の登山経験・脚力も把握できないので募集締め切りの後細部の計画調整と班編成をしなければならない。これが困難な作業になる。
・基本としては各班10人は超さないこと。
・リーダー・サブリーダーの役割分担。各班の連絡。
・アクシデントの対処。登山は自然相手、一歩間違えれば命にもかかわる。
危惧することは多い。募集を締め切っての参加人数をKさんから報告を受けて驚いた。予想外の40名の多さ。ワゴン車を追加。
山小屋は分宿せざるをえない。脚力から判断しても登頂は、明らかに無理の人もいる。本人の意思を確認して山小屋残留班と登頂を目指す班に分けて対処する。
健脚の晴眼者を先発隊として、登頂後下山して残留班のサポートに当たる。
幾度もスタッフ会議が開かれ、班編成・視覚障がい者のパートナー検討。電話連絡などで細部調整がされる。
5班編成・特に休憩や山小屋では、同姓のサポートを考慮する。メーリングリストには、富士登山の留意点。持参するもの、ザックの重量の制限、当日までの訓練や健康管理の情報が流される。
7月4日(日)、Yさんからの富士山の下見報告によると、今年は残雪が多く、お鉢巡りは難しいとの報告を受ける。山は生きている。山に対しての意識の会員の個人差は大きい。必ず予想外のアクシデントは起きる。事故を防ぐことは当然であるが、大事なのは突発の事故が起きても冷静な判断と適切な対処である。
天気予報では日曜日はあまり良くない。登頂を目指して果敢に挑むのも良いが、途中下山の勇気ある決断も時には必要である。
そんなとりとめもないことを思い巡らしながら、不安の中にも皆さんと登頂・無事下山を念じて当日を待つ。
◇◇富士登山記録(3776m)◇◇
2010年7月10日(土)・7月11日(日) 天候 曇り・一時雨
・準備品
登山杖・登山靴の靴底を張り替える。発汗性と保温性に富む下着(防寒を考えて富士登山のために購入)・雨具・スパッツ・フリース・着替え・タオル・携帯用洗面道具・ホッカイロ・マスク・スキー用の手袋・食べる酸素・傷ばん・シート・ロープ・携帯用はさみ・包帯
・食料品
オニギリ4個・大福餅2個・小さなドーナツ一袋・菓子パン・カロリーメイト・飴・酢昆布・甘納豆・梅干・水1?
今回はザックの重量考慮して果物は持参しないことにした。
7月10日(土)1日目
私は、最高年齢78歳(富士登山の豊かな経験者)を含めた男性3人・女性5人の1班である。視覚障がい者は、私一人。
富山出発4時40分。外は雨模様ではあるが、皆さん久しぶりの再開で話に花が咲き、笑い声が飛び交っている。
6時過ぎに大き目のおにぎり2個・大福餅2個を食べる。私は、登山開始5時間前には、充分に穀類を食べることにしている。食後3~5時間を経てからエネルギーに変化するからだ。ゆっくりと消化する穀類は、エネルギーの保存も良い。
Mさんの美声に合わせて、「富士山」の合唱が車中に響く頃は雨も止み、車窓から雄大な富士山の姿が見えている。私も、これから登る富士山を心に描いた。
10時40分、須走口駐車場に到着。五合目、きくや山小屋で昼食。しょっぱい味のきのこ茶(無料)は、美味い。ここでも、オニギリ2個をしっかりと腹におさめる。
11時20分、登山開始。石段の道をしばらく行くと古御獄神社(こみたけじんじゃ)があり、富士登山の無事を祈念して参拝。登山道は神社の右側から始まり、六合目まではシラビソやコメツガなどの針葉樹林の中を野鳥の囀りを耳にし、高度に身体を慣らしながら、ゆっくりと歩く。
前方には、富士山の頂が見えているとのこと。天候も良い。足取りも軽く快調である。砂礫地も全く苦にはならない。下山専用の道との合流点を過ぎると鯉のぼりが見えているらしい。
新六合目の「長田山荘」(おさださんそう)/別名「しゃくなげ山荘」(標高2460m)である。
愛犬好きの山小屋は多い。東富士山荘、長田山荘、大陽館などでも飼われ、愛犬を連れての休憩や宿泊も可能であるとのこと。この山小屋で飼われている犬はどんな犬であろうか?盲導犬との富士登山。そんなことを思いながらも歩を進める。
長田山荘から40分で、本六合目の「瀬戸館」(標高2700m)に到着。やがて森林限界を越え、砂礫の粒も大きく傾斜も急になる。傾斜の強い雪道を歩くように足裏全体をしっかりと着地させ、小幅で歩く。
パートナーのYさんが富士山の歌を歌い、私も合わせて歌う。前方の女性グループから声がかかり、拍手が起きる。見知らぬ人たちとも屈託のない声を掛け合うことができる。山の素晴らしさを感じながら歩を進め七合目の「大陽館」(たいようかん)(標高3090m)に到着。残留班はこの山小屋で宿泊の予定。
私たちは、上の山小屋を目指す。須走口の特徴である火山砂に登山靴も深く沈み、体力の消耗が激しくなってくる。標高は3000mを越して酸素の量も少ない。皆さんの足取りの音も重い。
息を吸うことより、吐くことに意識しながら呼吸を整えて歩く。肺に溜まった澱んだ空気を多く吐けば、新しい空気は自然と多く入る。
「大陽館」から40分で、本七合目の今夜の宿泊の「見晴館」(みはらしかん)に到着。標高3250m。
一日の歩行時間 4時間6分(休憩を含む)。標高1970m→3250m。
遠い飲み屋のビールは少し値段は高いが本当に美味い。「無事到着・乾杯」。夕食はカレーライス。夜空には星が瞬いているとのこと。明日、天候に恵まれることを念じて、18時30分就寝。
7月11日(日)2日目
起床4時。荷物を整理して、雲海から昇る御来光を拝みに外へ出る。風は強く寒いが、皆さん元気だ。シャッターの音が飛び交う。御来光を背景にして写した顔が幽霊のようだと明るく笑う声が耳に入ってくる。綺麗な写真を撮るのは難しいようだ。
紫・赤・橙・黄・白と刻々と変化していく雲の色は私にはもう見る視力はないが、強い太陽の光はまだ見ることができる。
御来光を堪能してザックを担ぎ富士山頂を目指して5時出発。今日のパートナーはSさんと。ロープを手に足を踏み出す。この辺りから「大行合」(おおゆきあい)と呼ばれる所にさしかかり、吉田口からの登山者が一緒になり、行き交う人の数が一気に増える。滑りやすい道が続き細かい歩幅でリズムを乱さず歩を進める。
八合目 江戸屋(標高3350m)。下江戸屋とも呼ばれ、皇太子殿下が富士登山の折宿泊。
本八合目 胸突江戸屋(標高3400m)。
八合五勺 御来光館(標高3450m)。途中高山病で嘔吐している人がいるとのこと。腹式呼吸を意識しながら呼吸を整え通過する。
富士登山は3500mを超えてからが厳しいと言われている。空気が軽く酸素が薄く感じられる。神経を集中させ、つづら折の難所を登り九合目 久須志神社(くすしじんじゃ)標高3715mの狛犬を通り抜けて鳥居をくぐると山頂。「富士山頂上浅間大社奥宮」と彫られた道標の前で記念撮影をする。
休憩していると、後続のKさんたちの班も無事到着。お鉢巡りを終えた先発隊の皆さんとすれ違い、残留班のサポートをお願いする。時計回りで、お鉢巡りができるという情報を聞く。
火口の直径は久須志神社から富士山特別地域気象観測所(富士山測候所)まで780m、火口の深さは200m以上、距離は3キロ外側は崖、内側は火口。
吹き飛ばされないように新たに気持ちを引き締めてお鉢めぐりに出発する。先刻、朝日を受けて雲に映じた珍しい「影富士」や稜線から噴き上がってくる雲が噴火口に吸い込まれ消えてゆく。Sさんの説明を聞きながら壮絶な自然の姿を心に描く。
幼い頃から想像癖のある私は、昔見た写真の赤富士、逆さ富士・ダイヤモンド富士などの富士山の雄姿を勝手に心に描き、日本一高い富士山の火口の周りを今この足で踏みしめている。感慨深い実感が胸にこみあげてきた。
最後の馬の背の急斜面には残雪があり、登山靴を雪に食い込ませ、一歩一歩滑らないように確保しながら登る。ついに、視覚障がい者の私が、標高3776mの富士山の最高峰剣ヶ峰に立った。胸に熱いものがこみ上げてくる。我知らず両手を合わせていた。
写真を撮り、下山していると、後続のKさんの班が剣が峰に登頂したとのこと。皆さんと写真を撮るために再度剣が峰に戻る。1回の富士登山で2度も剣が峰に立った幸せな男の私である。
剣が峰を下山して富士山頂の山口やで食事。味噌汁(600円)弁当のおにぎり3個だけでは物足りない私であったが、うどんの900円は、遠慮した。
休んでいると先刻からの頭の痛みが増してきた。危惧していた高山病の前兆であろうか?パートナーのSさんは、私の連発の欠伸に気づいていたとのこと。
10時20分下山開始。まだ、足取りには余裕があり、しっかりしている。早く下山した方が良いと思い、歩く速度を上げてもらう。山頂公衆トイレの横から始まる下山道の黒い砂礫の道をジグザグに下る。
八合目 江戸屋に到着した頃は、富士山頂は雲に覆われて見えないとのこと。雨になるのは間違いない。砂礫の下山道を軽快に下る。登山杖を斜前後にして、バランスを取りながら、足は、やや、「ハの字」にステップを踏む。足の親指のつけ根・急な傾斜では、踵を砂礫に食い込ませブレーキをかける。
Sさんの誘導・後方からのKさんのアドバイスも適切だ。背後では、雷も鳴り始めた。リズムに乗って下る。登山道に戻り、宿泊の見晴館に着いた時は雨がポツリ・ポツリと降り始めた。
今朝、預けた荷物を受け取り、雨具を着用して、風が強くなってきた下山道を下る。新6合目の「長田山荘」を過ぎ、樹林帯に着いた頃は本格的な雨模様になった。気が付けば頭痛も治まっていた。ここまで来れば、一安心。大きな深呼吸をしてゆっくりと足取りを緩めた。
古御獄神社で無事富士登山の下山を感謝して礼拝。きくや到着12時35分
一日の歩行時間7時間35分(休憩を含む)、標高3250m→3776m→1970m。
富士山頂の下山道から2時間の醍醐味な砂走(すなばしり)を満喫した下山であった。
雨が激しくなり心配していた後続班も予定時刻より遅れたが15時30分無事全員下山。疲労の色は払拭できないが皆さん、満足して笑みがこぼれている。
22時10分、富山着。一人一人の胸に思い出を残した素晴らしい富士であった。
《事務局から》
◆消息 訃報
宮林 利 氏(射水市) 7月 逝去
柴田 昭三 氏(高岡市) 7月 逝去
幅 美智子 氏(上市町) 8月 逝去
黒田 キミ 氏(富山市) 9月 逝去
米田 八郎 氏(富山市) 11月 逝去
坂林 宏志 氏(高岡市) 12月 逝去
田島 豊秋 氏(富山市) 12月 逝去
ご冥福をお祈りいたします。
◆受賞
○富山県知事表彰(部門功労) 平成22年10月15日
社会福祉事業活動者 倉田ヒサ子 氏
○富山県知事表彰(部門功労) 平成22年10月15日
自立更生者 柳沼 芳一 氏
○黄綬褒章 平成22年11月12日
道端 智光 氏
○厚生労働大臣表彰 平成22年12月3日
自立更生者 日吾 典子 氏
受賞おめでとうございます。
◆時事暦(7月~12月)
○7月4日 富山空港ターミナルを会場に、ボランティアと利用者交流会を開催。午前中は、富山空港ターミナルをボランティアと一緒に見学。午後は、点字図書、録音図書のグループに分かれ意見交換を行い、全体会において、それぞれグループでの意見を紹介した。参加者は、利用者60名、ボランティア午前53名、付添9名でした。
○7月17日~19日 福岡県において、第56回全国盲青年研修大会が開催され、会員(青年部)1名参加。
○7月18日 センタークリーン作戦を行いました。センターの大掃除を終え、全員でバーベキューをしてねぎらい、楽しみました。参加者27名。
○8月22日 平成22年度富山県視覚障害者球技大会を富山市立南部中学校及びセンターにおいて開催。成績は次のとおり。
第27回グランドソフトボール大会(出場33名) 5対0でOBチームの勝ち
第36回サウンドテーブルテニス大会
・アイマスク有・男子の部(出場6名)
1位 塘添誠次 2位 谷口智秋 3位 田中 孝
・アイマスク有・女子の部(出場12名)
1位 徳市和美 2位 太田蓉子 3位 本江とみ子
・アイマスク無し・男女混合の部(出場10名)
1位 徳市秀晴 2位 池田一義 3位 高橋 亨
○9月1日~3日 長崎県において、第56回全国盲女性研修大会が開催され、会員(女性部)参加なし。
○9月5日 センターにおいて、午前、治療奉仕と技術交換会、午後からマッサージの実技講習。講師、吉田政義氏。
○9月11日・12日 富山支部担当で、立山国際ホテルを会場に、平成22年度視覚障害者と家族激励大会並びに山岳歩行訓練、あわせて研修会を開催。89名の参加。研修会演題は「立山の歴史と文化」、講師は富山県立立山博物館学芸課長野口安嗣氏でした。
○10月3日 センターにおいて、第34回視覚障害者文化祭・福祉機器展を開催。当日の催し物などの概要は、
・アトラクション「ハープ」演奏 奏者:川村文乃氏
・生きがい教室発表(コーラス、民謡)、二胡、詩吟、カラオケ、手芸等作品展示、茶席
・漢点字コーナー
・視覚障害者用具展示(白杖、点字器)
・福祉機器展(プレクストーク、携帯リーダー、拡大読書器、電子白杖)
・手作り作品販売、飲食物販売、コーヒーコーナー
会員130名が参加。
○10月24日 センターにおいて、点字・パソコン競技会を開催。
成績は次のとおり。
・第59回点字競技会(点字盤)
[団体の部]
第1位 高岡市チーム、第2位 射水市チーム、第3位 富山市Aチーム
[個人総合]
第1位 松波律子
[個人・一般の部]
第1位 松波律子、第2位 小林 幸、第3位 安達 実
[個人・中途失明者の部]
第1位 岩黒勝義、第2位 塘添誠次、第3位 谷内幸子
[田島杯] 田中 孝
・第11回パソコン競技会
第1位 田口明美、第2位 山口 勇、第3位 安田庄内
○10月31日 太閤山ランドにおいてタンデム自転車体験会を開催する。会員25名、ボランティア39名が参加。
○11月13日・14日 第19回北信越サウンドテーブルテニス大会が新潟県で開催された。
個人戦男子の部 3位 中西美雄
個人戦女子の部 2位 本江とみ子、3位 柳田信子
団体戦 3位 富山県Aチーム(塘添、徳市、中西)
○11月19日~24日 婦中町ふれあい館において、地域障害者作品展(富山圏域)が開催される。
○11月21日 センターにおいて、施設部、三療部会合同による三療研修会を開催する。なお午前中、治療奉仕と技術交換会を行う。
演題:「手のしびれの鑑別と治療」 講師:黒部市鍼灸マッサージ師会会長 経塚泰久氏
○12月1日 北日本放送(株)より、財団法人日本テレビ系列・愛の小鳩事業団点字カレンダー400部が贈呈される。
○12月12日 高志会館において、道端智光氏黄綬褒章受章祝賀会が開催された。会員等72名の参加。
○12月3日 富山駅前周辺において、「障害者週間」街頭キャンペーンを実施
○12月5日 センターにおいて、午前中に平成22年度更生相談会並びに結婚相談室を開催し、午後より意見交換会を行う。更生相談会は、「火災時の避難」と題して、富山消防署の方々の講義及び質疑応答。
◆平成23年度主な行事予定
○5月21日・22日 第38回北信越グランドソフトボール大会(富山県)
○6月3日~5日 第64回全国盲人福祉大会(島根県)
○6月12日 定期会員総会
○7月3日 ボランティアと利用者交流会
○7月16日~18日 第57回全国盲青年研修大会(仙台市)
○7月17日 センタークリーン作戦
○8月21日 第35回富山県視覚障害者球技大会(グランドソフトボール、サウンドテーブルテニス)(南部中学校、センター)
○9月10日・11日 激励大会、山岳歩行訓練、研修会(射水市)
○9月13日~15日 第57回全国盲女性研修大会(福井県)
○10月2日 第35回視覚障害者文化祭・福祉機器展
○10月15日・16日 第20回北信越サウンドテーブルテニス大会(長野県)
○10月23日 第60回点字競技会・第12回パソコン競技会
○11月20日 三療研修会
○12月4日 更生相談会
《編集後記》
文化部部長 上坂敏彦
この冬は、野鳥からであろうか?鳥インフルエンザ、各地にもたらした大雪、 霧島連山・新燃岳の噴火と、自然現象に、国民生活は大きく揺れ動いています。自然は何かを訴えているのでしょうか?
さて、そんなニュースが聞かれる中、「ゆきしろ」を編集しています。猛暑の夏、平城宮跡を訪ねた竹島さん(高岡)。タンデム自転車に乗り、風を肌で感じた上沢さん(富山)。また、富士山に全身で登った坂田さん(高岡)など、行間にこもっている、想いも読みとっていただけましたか?
このように、これからも体験や心に感じたこと、文芸作品等お寄せ下さい。「ゆきしろ」は、皆さんの手で作られております。
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